PHILOSOPHY
はじめまして。代表の柿元 祐二です。
私は、『服を通して人や社会に貢献する。』ただその一心で、10年間勤めた大企業を飛び出し、駆け抜けてきました。そして、第一弾のアーバンアウトドアシャツが完成し、発売いたしました。
これまでの過程で、様々な出会いと学びがありました。私は日本の素晴らしい服作りを世界に発信していきたい、ひとりひとりが持っている可能性を引き出したいとの思いで、服作りに取り組んでいます。
1986年、鹿児島県に生まれ、学生の頃は毎日サッカーに明け暮れていました。青春真っ盛りの14歳、自分の個性というものに思い悩む時期、大胆に表現された洋服や素晴らしいデザイナーの存在を知りました。洗練された服を着ると、自由で、解放され、前向きな気持ちになりました。服を通して自らを表現することの素晴らしさに気付き、それがまさに、服の力を感じた瞬間でした。
時が経ち2008年、大卒で国内大手のメーカーに就職し、調達部門のバイヤーとして働くことになりました。日本が世界に誇る一流のものづくりを身近に感じていました。
20代半ばに差し掛かり、インターネットやニュースなどで世界の実業家たちの活躍を目にします。彼らがアイデアを形にし、次々と新しい製品やシステムを世界に生み出していく姿に感化され、『将来は私も』という気持ちが芽生えました。今までの人生や、感情を揺さぶられた思い出と向き合い、『人や社会、未来に向かって力を与えられる服のブランドを立ち上げよう。』と決意しました。
しかし、当時の私は服飾業界についてはドのつく素人でした。
専門学校で学んだ経験もなければファッション業界で働いた経験もありません。親しいファッション業界関係者もいませんでした。
そこで、自ら作成したデザインと企画書を片手に、国内の服飾製造工場に片っ端からコンタクトした結果、いくつかの工場がこのような自分を快く受け入れて下さり、話を聞いてくださいました。 実際に、日本の服作りの現場を目の当たりにし、その技術の繊細さに感銘を受けました。『これまで自分が着ていた服は職人たちの手によってこんな丁寧に作られていたのか。』 様々な生地が魔法のように縫製されていく製造工程を見るにつれ、上流工程である素材や生地にも強い興味を持つようになりました。生地から自分で選びたいと思い始め、次は生地工場に片っ端からコンタクトして訪問しました。
服は生地によって、厚さ・肌触り・質感が全く異なりますが、それは糸の違いからくるということをここで知ります。
取りつかれた様にその後、糸の工場を訪問し、しまいには綿花の生産地に辿り着きました。
さらには、日本全国の工場やショップなどに足を運び、現場で働く人たちの姿を拝見したり、お話を聞かせていただきました。私は何の肩書きもない、ただの素人なので、門前払いされることもありましたが、受け入れて下さった方々はとても親切に私の話を聞いて下さり、惜しみなくアドバイスもくれました。
このように、服飾に関わる様々な風景を見て、色々な話を聞いて、少しずつアイデアを形にしていきました。
また同時に、現場を自分の目で見たことで、日本の服飾業界の構造における問題点も見えてきました。糸、生地、縫製、それぞれの生産工程が縦割りなのです。さらに、日本で売られている洋服の98%は海外製で、日本製はたった2%しかないことを知ります。
折角素晴らしい技術力があるのに、何と勿体無いことだろう。
日本の素晴らしい技術を発信するためにも、非常にチャレンジングではありますが、世界に誇れるブランドを作っていかなければならないと実感しました。
ブランド立ち上げを決意し、10年間勤めた会社を退職して、シャツを発売するに至るまで、決して簡単な道のりではありませんでした。使命感に駆られ、安定したレールを外れながらも、生活の糧もなんとかしなくてはならない。それでも諦めず、一歩一歩前進することをやめなかった結果、スタートすることができました。
人や社会、未来に向かって力を与えられる服のブランドを立ち上げること、日本の素晴らしい服飾技術を世に発信していくこと、これまでに自らが感じてきた服の力と可能性を信じ、人や社会に貢献できるよう、全力を尽くしていく所存です。
柿元デザイン企画合同会社
柿元 祐二